世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか、を読んで
美が必要な要素として、以下の3つを挙げている。
正解がコモディティ化している、誰と話しても同じ正解に行き着き、差別化がなされない。
消費が求めるものが生きるための欲を満たすことではなく、自己実現の段階に上がっている。
システムの変化にルールが追いつかない。明文化されたルールだけでは世界が求める倫理を体現出来ない。
3つ目は今のGOTOEATとかに当てはまるのかも。それに気づいた政府の人たちはガバナンスを企業に預けようとする試みをしているけど、それは組織がすぐに変われないことを認識しているからなのだなぁ。
美はアカウンタビリティが低いからサイエンスやクラフトに劣後するけど、日本の場合、アカウンタビリティが果たせるゆえに、アイデアそのものの質が軽視されているという指摘は納得。理由がついて説明できれば、進めていい、ということも結構あるもんな…
自己実現における日本の競争力の高さは、フランスに並ぶ。
世界観とストーリーはコピーできない。
アランケイは螺鈿を見て、昔の日本人はこんなに美しいものを作っていたのに、なぜ今はつくれないのか、と怒っていた。
恥の文化は、ある規定を守っている時に、他人もその規定を守るよう振舞うことを期待する。
本全体を読んで思ったのは、アニメでも映画でも本でも服装でも科学でもなんでも美しいものを見て美しいと思える、かっこいいものを見てかっこいいと理解できることがまずスタートなんだと思った。それでそこからはそれを再構成して、人に説明したり、理解してもらえるようになれるといい。