インド大学院留学~IIScって何?IITじゃないの?~(オンライン留学編)

2020年からインド大学院留学する家族のブログ。コロナのため単身留学中。

終盤にあたり

終盤にあたり、備忘録的に。

IIT志向はインドでも一緒。研究分野の地位向上はこれから。

最終プレゼンの前日の晩も停電、水もでない。

結局初めて行く場所では必ず腹痛か発熱した。

当たり前だけど、出自によって、文化、言語、それによるふるまいも変わってくる。

ヒンディー語は共通言語。

日本で働きたい、日本で学びたい、という気持ちに今は応えられるツールが少ない。

受け皿となる企業を増やす必要がある。

インドトップ層においても未だ日本は学ぶ先であるとの認識。

 

スタートアップの根底には物価や初任給が低いことも同時に挙げられる。必然的にリスクも少ない。

スタートアップは国内需要向け産業が多いとのことだったけど、それはインドの全セクターに言えること。強制規格・アンチダンピング等の貿易措置等により間接的に強められる国内生産のインセンティブ

州ごとのルール形成。地域によって異なるインセンティブ・規制。企業に対しては州ごとのサポートが必要。中央政府と話すだけでは解決しない理不尽さも。

 

 

3つ

 

久しぶりにスタバに行きました。カップに名前を書いてもらったり、会計終わったらarigato-,飲み物もらうときにHow was your day?って聞かれたり、帰り際に愛想よく挨拶されたり、日本ではもはや見なくなったスタバらしいサービスが提供されてました。インドで生活してると貧しいサイドから見るとまぁある意味新鮮だし、愛想がいい人も多いからある意味普通といえるかなと。何を言いたいかというと、久しぶりのテンションだったのでアハハという感じでした。

 

ベンガルールのイオンであるオリオンモールではシンウルトラマンもjyujjyutsukaisenもやってないです。やってほしい!若い人はみんな見に行くとおもいます。NARUTOの服のコラボはやってるけど。

 

 

インドの教育において

インドには共通試験的なものがいくつもあって、一つの学部に入るのでも異なる”共通試験”を受けてたりすることがある。元をたどれば、初等教育から様々なカリキュラムことに端を発する現象であって、日本の指導要領に対応する統一的なカリキュラムには至っていないようだ。

 

そのため、大学では、文化(教育)よりも科学(教育)が発展してきたのではないかと思われる。(大学はもちろん多様性を議論し、新たな理論を生み出す場所であるべきであるものの)実態は、科学(特に工学)の追認学習が行われてきているというのが実態ではなかろうか。社会もそのような人材を受け入れるマーケットを持っている。

deeptechについて

インドでDeepTechとか言えるのも正直このせまいIIScの箱庭の中だけのような気がしているけど、だからこそ考えてみようと思う。課題ある所に政策あり。

 

分野で言うと、healthCareとかClimate的な部分に強いインセンティブがあるような気がしている。

 

そもそもDeepTechを議論するときに普通の人たちと議論すると、回収までの期間が長すぎて投資に見合わない、という声が聞かれる。(だからこそ、長期的課題で必要があるのなら、政府が支援するものでもあったりすると思う)

 

ただ、Climate的な文脈でのテクノロジーって色々あって、インドでは、今ホットな最先端のもの、というより、借りてきたものをいかにimplementするか、ということが優先されるとおもう。(インドブランドの創出にはまだ遠い)。つまり現時点において、産学(官)連携分野として成立するかどうかが怪しいということ。

 

また、政策が短期間にダイナミックに変わっていくインドにおいて、長期的な視野での研究開発というものがどの程度有効に実行できるか、という点は懐疑的、というよりも私が実例を知らないので語れないだけですが、例えば医療機器の審査に関する法律ができたばかりのこの国で、その分野に注力して、そこからスタートアップが生まれてくるのは自然なことだと思う。

 

したがって、あるとすれば、ほんとにあるとすれば、長期的な継続性が見込まれる(国内問題ではなく)グローバルに課題となっている政策に対して、半ばODA的に研究資金をつぎこみ、そこに日本の企業をつながらせて、将来性に投資する、というあり方でしょうか。

 

でもやはり、優先順位は、DeepTechではないけれど、近くに規制ができて、今から国内での市場が広がっていくような、でも、純粋なIT/サービス産業とは一線を画している、そんなところ(おもちゃとか、医療機器?とかなんでしょうか)。

 

 

 

 

無力感

インドにいると、日本で普通にできていたことができなくて、(イライラするというより)、無力な自分を認識することがある。それはすごい些細な差。

 

特に、ヒンディー語での会話に参加できずコミュニケーションが成り立たない、Olaの運転手さんから見放されてしまう、電球一つ変えるのにも業者の(勝手な)予定を顧みる必要があって、一日中待ってても来ない、

 

そんな時は、環境に左右されずに自分でなんとかできる手段があればいいのに!と心から思う。

そういう意味で、例えばバイクとか(バスに乗るのもひとつだけど)はいい例。車列を上手く切り抜けていけば、自分で時間を都合できたり、swiggyとかfilipkartとかの宅配サービスは比較的自分でコントロールしやすいので、そういう意味で個人が便利にくらす力を支えるサービスは、心の底から求められていると感じる。

 

電車やメトロで定時に、予定調和的に移動したりすることによる安心感を日本では感じていた気がするけど、まだまだインドでは他律的な遅延要素が多く、そういった感情を得るにはそぐわないのだと感じる。

 

個人としての権利や欲望に応えてあげるためのサービスが売れると思うし、実際、携帯電話とかもそうだと思う。インドの政府の人たちもそういった特質に目を向けながら色々と政策つくっているのではないかと想像。

 

 

 

 

日本からきたら

日本から来たら、日本人の住むアパートメントに住み、日本食レストランに行き、日本人会でネットワークを作り、休日は一緒に過ごす。たまにタイやシンガポールに買い出ししに行く。家族もいると尚更リスクはおかせない。

 

なんとなくそうなっていくんだなと感じる。

 

自分はたまたま単身でそうではない入り方ができたから、インドは何でも揃っていて、飯もうまい。買い出しとか行かなくてもアマゾンで何でも揃う、という感覚を持てて、いい友達もできて、いい環境からスタートできたんだと思う。

 

どうしても内向きの引力を受けてしまう、仕方ないけど、そんなんでインドで商売するのは考えられない、どうしても、それを引き剥がして、吹いている風にガリガリ立ち向かっていく状況を作ることができないと、溶け込んでいけないと感じています。

 

この人たちは、

 

この人たちは、意外ときれい好きで、世話焼きで、目上の人を尊重する。

 

この人たちは、都合のつかないことには、沈黙を持って答える。結果、都合のつかない内容は後ろ倒しになって、最終的にできなかった、ということになる。

 

対面で話すときと、メールで話すときの内容が異なる。明らかに対面を重視している。メールより電話、電話より対面。

 

この人たちは、停電とか豪雨とか、呼びつけてくるアマゾンとか、手間と時間がかかる手続きとかで、忙しい。色んな暦や宗教があって、行事も多いし、出身によってその行事の季節や日時もことなる。学生なので家族とか恋人に電話したりも結構する。