無力感
インドにいると、日本で普通にできていたことができなくて、(イライラするというより)、無力な自分を認識することがある。それはすごい些細な差。
特に、ヒンディー語での会話に参加できずコミュニケーションが成り立たない、Olaの運転手さんから見放されてしまう、電球一つ変えるのにも業者の(勝手な)予定を顧みる必要があって、一日中待ってても来ない、
そんな時は、環境に左右されずに自分でなんとかできる手段があればいいのに!と心から思う。
そういう意味で、例えばバイクとか(バスに乗るのもひとつだけど)はいい例。車列を上手く切り抜けていけば、自分で時間を都合できたり、swiggyとかfilipkartとかの宅配サービスは比較的自分でコントロールしやすいので、そういう意味で個人が便利にくらす力を支えるサービスは、心の底から求められていると感じる。
電車やメトロで定時に、予定調和的に移動したりすることによる安心感を日本では感じていた気がするけど、まだまだインドでは他律的な遅延要素が多く、そういった感情を得るにはそぐわないのだと感じる。
個人としての権利や欲望に応えてあげるためのサービスが売れると思うし、実際、携帯電話とかもそうだと思う。インドの政府の人たちもそういった特質に目を向けながら色々と政策つくっているのではないかと想像。